奥義は大体シンプルなものだ。
そして、よく木を見て森を見ずという。
では、森を見ていこう。
繰り返し出ている、5つの問題がそれぞれの森だ。
プロクルーステースのベッド問題
この問題に欠如している態度は、とてもわかりやすい。
はっきりと例外を認めていない。
全ての旅人の身長をベットの長さに揃えている。
そしてそれはとてもシンプルだ。
シンプル化するリスクを微塵とも感じていない。
でも、それだけではない。
プロクルーステースがしていることは取り返しがつかない。
そう、足を切ったら、元には戻らない。
可逆的な立場ではない。
これは単に残酷な神話ではない。
欠如している態度がはっきりしている。
- 例外を否定している
- 構造を見ずに、単一基準へ押し込めている
- 切り落としたものは戻らないという可逆性を無視している
- 自分が条件を操作しているという自覚がない
例外を認めない瞬間、
思考は停止する。
私たちは、自分の基準に合わないものを、
知らず知らずのうちに切り落としてはいないだろうか?
現実歪曲フィールド問題
こちらの問題も同様に例外を見ていない。
というよりも、
都合の良い部分だけを見て、
不都合な現実には目を瞑っている。
現実を自分が見たい現実に捻じ曲げるということは、
無理やりシンプルにしようとしていることと同じだ。
しかも、そのリスクには無頓着である。
これは単なる楽観ではない。
- 例外を意図的に排除している
- 不都合な条件を見ないことで、構造を歪めている
- 現実をコントロールしているつもりで、実は制御不能にしている
- 逆反応を想定していない
現実を単純化することは、
現実を失うことと同じである。
私たちは、見たい現実になるように、
シンプルにしようとしていないだろうか?
いつまで経っても子ども扱い問題
子ども扱いしてしまう時は、今を見ずに過去を見ている。
される時は、今を見てもらえず、過去に引きずられている。
どちらも、現在→過去の遡る方向でしか見ていない。
可逆的な立場でない。
子どもはコントロールできる、という固定概念があるのかもしれない。
そうだとしたら、行き過ぎた態度かもしれない。
また、美化した過去は、シンプルになることが多い。
成長の変化を例外として扱っているのかもしれない。
ここでも欠如している態度は明確だ。
- 時間の可逆性を見ていない
- 過去という単一条件に固定している
- 現在の例外的変化を無視している
- コントロール可能だと誤認している
時間を一方向にしか見ないとき、
人は関係性を誤る。
私たちは、過去のままに留めておくことで、
現状認識の負担を減らす逃げの姿勢をとっていないだろうか?
絵に描いた餅問題
計画は綿密に立てたが、実行に取り掛かれていない時、
世界→計画の方向のみに固定されていただけでなく、
計画が成立した瞬間に、その矢印も消してしまっている。
明らかに可逆的な立場から遠ざかってしまっている。
行動しなければ、世界←計画の逆反応は起きない。
また、行動しないうちに徐々に計画が崩れていってしまっていることを忘れている。
盛り上がって計画を立てたはずが、実行が先延ばしになったので、白けて熱量が下がるように。
「気運⇄計画」の双方向のバランスが崩れている。
計画は立てたが、何をしたら良いか分からない時
コントロール可能なものがわかっていないかもしれない。
さらには、唯一可能な「自分のコントロール」を避けているのかもしれない。
ここで崩れているのは、
- 可逆性の理解
- 条件の制御
- 行動という唯一の可制御要素
計画は立てた。
だが、条件を動かしていない。
制御しなければ、反応は進まない。
私たちは、大きな絵に夢中になってしまったばかりに、
実行できることに集中していないのではないだろうか?
評論家的態度問題
それは私がやることではない。
直接聞いてくれれば、教えてあげるんだけど。
立場はわかるし、組織の都合もわかる。それが大人だ。
しかし、誰かがやらなければいけないことである。
「自分がやる」という例外を認める、という策もある。
歴史を見ても、
無理やり何かを仕掛けるときは、
大義名分なり、言いがかりをつけて、行動を正当化する。
例外的な理由を見つけるなり、作るなりして、
行動しても良いかもしれない。
また、絵に描いた餅と同様、時間経過とともに熱量は下がる。
唯一可能な自分のコントロールもしていない。
評論家的態度は、
実は四態度すべての欠如である。
- 例外を自分に適用しない
- 構造を俯瞰するが、条件を動かさない
- 可逆性を放棄する
- 自分が唯一の制御可能要素であることを認めない
批評は安全だ。
だが、反応は起きない。
私たちは、逃げたい、楽をしたいのだろうか?
責任を誰かに押し付けたいのだろうか?

Controlする
5つの問題と4つの態度をつぶさにみてきた。
いずれも、
方法の問題ではない、
世界の側の問題でもない。
欠けていたのは、
何をControlするかという視点だった。
化学でいうControlとは、物質を支配することではない。
温度を何℃にするか? 濃度をどうするか? 順序・手順をどうするか?
条件を選択して反応を制御し、
欲しいものを得やすくすることである。
世界を制御することはできない。
だが、
条件は選べる。
自分の反応は、Controlできる。
最後に、Controlに関して、警句を紹介したい。
毀誉褒貶のある、GEの経営者だったジャック・ウェルチが残した言葉だ。
Control your destiny, or someone else does.
(自分の人生は、自分でコントロールしよう。
さもないと、別の誰かにあなたの人生はコントロールされるよ。)
支配の話と誤解されがちだが、
化学者の言葉として、紹介する。
何を制御可能とみなすか、
それを誤ってはならない、という警句なのです。
化学的思考法の4つの態度は、
それを見極めるための、用意なのです。
制御できるものを見つける準備。
次章では、いよいよ実装のための具体動作に入っていきます。