東京〜現実歪曲フィールド界隈

東京で外資系企業の営業で働く人

第五章(2)世界を創って理解する

事実優先

自然科学は、再現可能な実験事実をベースに、理論を構築する。
化学も同様に、実験結果をベースに理論・体系を構築する。
しかし、化学には他の科学とは決定的に異なる特徴がある。
それは、「つくる」が中心にあることだ。

合成するということ

化学は、新規で新奇な物質を作る、合成することが目的になる。
有機合成化学を筆頭に、作ってナンボの世界だ。

世界の誰もが見たことのない構造を持つ物質。
誰もが存在し得ないと考えた、不可能だとした物質。
誰もが予想しなかった機能を発揮する物質。
夢物語とされた特性を持つ物質。

これまでの常識を否定する物質を作るのが、化学の醍醐味だ。
ゆえに理論が後回しにされることが多い。
1%でもいいから、目的とするものが得られればいい。
できたもの勝ちなのだ。

だから数学的に厳密な分析は化学には馴染みにくい。
そもそも化学反応を100%完全に把握するのは容易でない。
分析精度とか誤差をとやかくいうレベルではないのだ。

化学は分析よりも合成なのである。
そして、新規で新奇な合成により、
既存の理論体系の矛盾を指摘したり、時には破壊したりして、
理論体系を補強し、より正しく世界を理解するのである。

条件制御が大事

例えば、
 A+B → C+D+E+F
となる化学反応で、
Cが欲しいもので、結晶をつくる。水に溶けない。
Dはベトベトしたもので、水に溶けず、分離しにくい。
Eは固体になるが、水に溶ける
Fは液体で水に溶ける
とする。

欲しいCを楽に得るには、

  • CがD、E、Fよりも選択的に多くできるようにする。
  • Dがほぼできないようする。
    (EとFを水に溶かすことでCだけを簡単に取り出せる。)

などといった、工夫をする。

少しイメージしにくいかもしれない。
なので、「出汁の取り方」を例にして説明しよう。
昆布や鰹節などで和風出汁(C)を取ろうとする時、
えぐみや生臭さ(D)は避けたいところだ。
そこで、「沸騰直前で昆布を引き上げる」、鰹節を入れたら煮立たないように火加減をコントロールする、といったことをする。 (出汁をとった後の昆布と鰹節:出涸らしがEとFに相当) 化学では、温度、AとBの混ぜ方、環境など条件を制御して、化学反応をコントロールしようとする。

  • 反応性が高い時は、−78°Cの低温で反応させる。
  • 反応性が低い時は、溶媒を沸騰させながら(還流)反応させる。

条件制御は、理論的にもできるが、経験が占める割合も多い。
レシピがないときは、
条件を常識の範囲で極端に振ってみて、
結果を確認し、
それを元に条件を絞っていく。
仮説→検証→結果の確認→条件の改善
というPDCAサイクルを回す。

そうして、最適な条件を絞り込んでいくのだ。

化学における想像力

理論や経験をベースに、予測する、予想することを
Prediction(プレディクション)という。
逆に、経験・結果をベースに、後から振り返って言及することを
Retrodiction(レトロディクション)という。
二つの言葉の違いは、接頭語にある。
Preは「前もって」であり、
Retroは「後から戻る」を意味する。

未知の新奇な物質を作ろうとするのは、未経験の領域だ。
世界の誰も、やったことがない。
作ろうと実験を重ねることで、経験知を稼いでいく。
化学では、未経験と経験の境界を常に行き来する。

化学に必要な想像力は、未知と既知の双方向への移動だ。
このような行為をTransdictionという。
PreでもRetroでもない、行き交うの意味の「Trans」だ。
化学は、トランスディクションが常態化した科学である。  

メンデレーエフは、まだ見つかっていない元素の席を空けて、周期律を作った。
事実の集積から法則・体系を抽出し、トランスディクションにより未来を生み出していったのだ。

トランスディクション

化学では、過去の起こったこと、経験したことを
様々な視点からの検討により、パターンを見つけ出そうとし、
それを次の未来に応用する。

この「経験から未経験へ」の移動を支えているのが、
マクロからミクロへの想像力だ。
反応容器の中で生じた観察結果から、
目に見えない分子の世界で何が起きたのかを推論し、
次の実験を設計する。

そもそも化学者は、
目には見えない分子や原子を見てきたかのように語る。
これこそ、「観察可能な事実から、観察不可能な実態やメカニズムを推論する」トランスディクションそのものである。

この構造は、知的生産の方法論にも認められる。
事実を起点に仮説を立て、行動へと進む、
「空・雨・傘」
事実・解釈・判断のフレームワークである。

化学も、事実から推論へ、
推論から設計へと進む。
世界を創り、理解を深め
新しい理解を適用していく。
その構造の本質はとてもよく似ている。

参考図書