東京〜現実歪曲フィールド界隈

東京で外資系企業の営業で働く人

第四章(3)動けない、動かない

興味を失ったわけでもない、
熱を失ったわけでもないけど、
手が止まってしまった。
足が止まってしまった。
あなたにも、一度はあったことだろう。

そういえば、「あれ」どうなっている?
二人の間で「あれ」といえば話は決まっている。
気難しいが、予算達成を左右する、大口の顧客だ。
そろそろ、競合を出し抜く提案を出さないとヤバい。

リサーチはした、分析もバッチリ。
イデアの核は出来上がっている。
でも、なんか弱い。そう感じる。
もう少し磨きたい、
もう一捻りしたい、
と思って、すでに1週間が経過していた。

慎重を期すばかりに

あなたも、私も、
誰もすき好んで、失敗したくない。
慎重になるのは当然だ。

一度ならず、二度確認する。
時間を空けて、もう一度考える。
悪いことではない。

しかし、やりすぎは禁物だ。
熟慮のつもりが、単なる判断の先延ばしでないか?
その間に、世界は動いていないか?

チャンスの女神には前髪しかない。
完璧に準備できてからでは、間に合わない。
チャンスはいつも、不備をつくようにやってくる。

だから、不十分でも行動すべき時がある。
あれがチャンスだったと気づくのは、
だいたい後で振り返った時である。

絵に描いた餅

とならないように、十分に気をつけたい。

私がやらなくても

頼まれ仕事も、簡単ではない。

課長から、配属される新人の教育計画を依頼された。
実際の教育は、課長が指名して実行するという。
私はバランスの良いプランを考え、担当できる先輩と同僚を課長に報告すればいい。
休憩時間や、会議の合間を利用して、雑談を交えながら相談し、プランをまとめ、課長に報告した。
私のすべきことは、全てやった。
実行は、課長の仕事だ。
しかし、3日も前に新人が配属されたが、私が立案した教育プログラムが実行される気配がない。

相談した先輩と同僚から、「おい、どうなってる?」と聞かれても、私はプランを作っただけだ。

実行は、課長の仕事ですよ。
先輩と同僚に説明して、
自分にもそう言い聞かせるが、
なんだか悶々とした日々を送っている。

職務権限の境界が明確な組織では、
業務評価の対象外のことは、誰もやらない。
その結果、
誰の仕事でもない空白が生まれやすい。

目の前に「やるべきこと」が存在しても、
それは自分の仕事ではない、
とする。
そして、議論だけが続き、当事者はいない。
なのに、私は、モヤモヤした居心地の悪さを感じてならない。

このような問題を、

評論家的態度問題

とした。

自分ごとではなく、他人事となった瞬間、
この問題はひっそりと立ち上がるのだ。

常識と良識

自分が、動けない、動かない問題。
言い換えると、
絵に描いた餅問題と、評論家的態度問題。
いったい、どう対応するのが良いのだろう?

居心地の悪さを感じるのは、
あなたがそれを良しとしていないから。
私も同じだ。

無理に鈍感にならなくていい、
見て見ぬ振りをしなくていい。
遅かれ早かれ、いずれ誰もがそれに気づく。
少しだけ早く気がついただけのことだ。
責任のある人に、ひとこと、声をかける勇気が欲しい。
たったそれだけで、空白は埋まる。

世間の常識ではなく、
あなたの、私の、常識に照らして
判断する。

良識ある行動は、
だいたいいつも、思っているほど大げさでない。
ちょっとだけ背中を押すような、
そんなささいな行動で、十分なのだ。

動けない時、動かない時

誰にも、動けない時、動かない時はある。
それを責める必要はない。
動けと念ずる前にすることがある。
それは、観察することだ。

なぜ動けないのか。
どうして動かないのか。
自分の言葉で書き出してみる。
頭の中から、外に出すのだ。

なぜ自分は止まっているのか。
自分は何を恐れているのだろうか。
自分は何に面倒くささを感じてるのだろうか。

一つひとつを、自分の頭の中から外に出して、
客観的に眺めると、
見えてくるものがある。
見えたとき、次の一歩は、もう自然と踏み出せてる。