東京〜現実歪曲フィールド界隈

東京で外資系企業の営業で働く人

第四章(2)ありのままには見られない

予断をもつな、先入観にとらわれるな、何度も聞いてきた。
でもまさか、は突然やってくる。

始まりは普通の技術的な問い合わせの姿をしてやってきた。
形ばかりの誠実な態度で話を伺い、技術サービス担当者に連絡を入れた。
やれやれと、一息ついて、別の仕事に取り掛かり、そのことはすっかり忘れてしまった。

風向きが変わったのは、1週間後だった。
相手の体温が、2℃以上は上がっているのが、電話越しでもよくわかる。
何かしでかしたか?
でも、思い当たることは何もない。

実は、技術的な問い合わせの話ではなかった。
あまりにも穏やかに、論理的に話すAさんだったから、軽く扱ってしまった。
Aさんからの問い合わせは、ほとんど技術的な質問ばかりだった。
そして、言葉の当たりがとても柔らかいので、深刻さは全く感じない。

でもそれは、彼の優しさであり、人格だった。
これまでは、品質クレームとなる一歩手前のところで、Aさんが技術サポートを利用して、社内で問題を未然に解決していたらしい。
今回は流石にAさんの手には負えなかったのに、私はそれに気が付かなかった。
いつものAさんからの電話だと、自分に都合の良い解釈で決めつけていた。
Aさんからの1週間前の電話は、品質クレームの話だったのだ。
技術サポートではなく、品質保証の担当者を紹介しなければならなかったのだ。

都合の良い解釈

あなたにも、こんなことないでしょうか?

  • いつもより強いストレスにさらされている時
  • いつもより忙しい時
  • いつもより多種多様なタスクに注意力が発散されている時

こういう「いっぱいな状態」の時、
私たちは、できるだけテキパキ片付けようとして、
反射神経的にバッサバッサと仕事を捌いてしまう。

または、
忙しい時に限って、かまってちゃんになる子どもを
「いつものことだ」と軽く扱ってしまう。

そういう時に限って、重大事件が発生する。

仕事の場面では、重大トラブルが発生したのに気が付かない。
子どもとの場面では、単に機嫌の問題と思っていたら、実はすぐに病院に連れて行くべき状態だった、 ということもある。

忙しい時ほど、判断したり、考えたりすることを省略して、パターン化した反応をしてしまう。
反射神経的に動く、マシーンのようになってしまう。
だから、「いつもとは違う」予兆に気がつけない。
パターンで対応できるように、都合の良い解釈が優先される。

仕事ができる人ほど、テキパキと動ける人ほど、
この罠にハマりやすい。
パターン化して、反射神経的に対応することで、処理能力を爆上げしているから。
でも、都合の良い解釈を放置してしまうと、冒頭のような過ちを繰り返してしまう。

このような、都合の良い解釈をしてしまう問題を、私は

現実歪曲フィールド問題*1

とよんでいる。
私たちは、現実を自分にとって都合の良い形でしか見ようとしない。
意識して現実歪曲フィールドのスイッチを切らない限り、
現実をあるがままに見られない。

1週間前にかかってきたAさんの電話を、
いつもと同じ電話だと見なし、技術サポートだと勘違いした私は、
まさに、現実歪曲フィールドの影響下にあった。

Aさんが発するシグナルを正しく受け取れず、
それが本質的には品質クレームだったということに、
全く気が付かなかったのだ。

都合よく修正する

別に技術サポートの担当者を責めるわけではない。
(自分のミスは棚に上げて)
「これって、品質クレームじゃないの?」って一言くれてもいいはずなのに。
でも、メールを遡ってみたら、そうではなかった。

あれ、これ、完全に技術サポートの依頼にしか見えない内容になっている。
技術サポートを依頼するフォーマットに、
事もあろうに自分自身が、Aさんの主張を整え、
当てはめていたのだった。

私たちは、都合の良い現実しか見ないだけでなく、
現実をしっかり見ているのにも関わらず、
都合の良い枠に、押し込み、当てはめてしまう。
つまり、楽ができるように、修正してしまう。

これはまさしく、旅人の背丈をベットの長さに無理矢理に合わせた、
プロクルーステースの行いそのものである。
ベッドの端からはみ出したら、足を切り取り、
ベッドの端が余っていたら、無理矢理に体を引き伸ばす。

これが、

プロクルーステースのベッド問題

である。

フレームワークの利用における問題の一つとして、
現実を無理矢理にあるセグメントに当てはめてしまう行為を紹介したが、
KPIにも構造化のツールにも、同じ問題は発生する。
KPIが微妙だったら、採用しなかったり、期待する数値になるように微調整する。
構造の枠組みを微調整する誘惑も強い。

予定調和への願望

自分にとっての、都合の良い解釈も、都合よく修正する行為も、
その背後には、「楽になりたい」という動きがある。

  • 認知のリソースを節約できるし
  • 安心も保たれる
  • 自己正当化もできるし
  • 予測可能性の維持も達成できる

予定調和に収まって楽をしたい願望があるからだ。
不都合な現実は、誰も見たくない。

世界は、思ったとおりであって欲しいもの。
自分の理解は、正しかったと信じたい。
自分の理解、判断が間違っていた、失敗した、という現実ほど、
受け入れ難いものはない。

裏切られたくない。
予定調和の世界は心地がいい。
だから、こうあってほしい、こうなるはずだ、
が前面に出てくるのだ。

だからこそ、予断を持ってことにあたってしまう。
そうあってほしいからだ。
先入観が判断の邪魔をすることは、知識として知っている。
でも願望からの自由は難しく、影響をゼロにするのは難しい。

はたして、どうしたら良いのだろうか?
予断を廃し、先入観にとらわれず、
ありのままを、正しく、フラットに見られないだろうか?
思い出したのは、次の言葉だった。

虚心坦懐(きょしんたんかい)

そのものズバリだった。
私は、確かにこの言葉を知っている。
いくつかある、私の座右の銘の一つだ。

新明解国語辞典によれば、
 虚心とは、先入観などにとらわれず、対象をあるがままに素直に受け入れようとする態度(様子)
 坦懐とは、「わだかまりがなくて、さっぱりした心(で物事に接する様子)。
である。

さらに言葉を探していく中で、
もう一つの言葉に出会うことができた。

如実知見(にょじつちけん)

仏教の言葉だそうだ。
意味を知って、ハッとした。
如実とは、あるがままに、ということ。
知見とは、正しく見る、ということ。

私が探していた、非常にしっくりする言葉だった。
予定調和への願望に引きずられることなく、
現実を現実として受け取る態度。

少し長いが、浄土真宗本願寺派の「読むお坊さんのお話」から一部を紹介して、この節の結論としたい。

いうまでもなく仏教では、自らの自己中心的で固定的なものごとの見方を離れ、ありのままに物事をみること〈如実知見(にょじつちけん)〉の大切さが繰り返し説かれてきました。お釈迦さまは次のような言葉をのこされています。

 「諸々(もろもろ)の事物に関する固執(こしゅう)(はこれこれのものであると)確かに知って、自己の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。故(ゆえ)に人はそれらの(偏執(へんしゅう)の)住居(すまい)のうちにあって、ものごとを斥(しりぞ)け、またこれを執(と)る。(スッタニパータ七八五偈、中村元訳『ブッダのことば』)

 私たちは知らず知らずのうちに、自分自身や物事に対してこだわり〈固執〉をもって生きています。それらはすべて、自分の都合のよいようにという自己中心的な見方からくるものです。お釈迦さまはまさに、こうしたこだわりこそが自らを苦しめるものであると見抜かれたのです。

*1:現実歪曲フィールド(Reality Distortion Field)とは、Appleの共同創業者であるSteve Jobs(1955 - 2011)のカリスマ性と強引さを表現するためにスター・トレックの用語を借りて名付けた言葉です。