忙しいのが、日常だ。
仕事も、プライベートも、すべきことや判断すべきことに追われている。
ほとんど反射神経だけで乗り切っている、
そんな気がしてならない。
1日の終わりに、今日したことを振り返ろうとしても、
午前中に何をしていたのか、うまく思い出せない。
それくらい、私たちは多くのことを、短時間でこなし続けている。
本音を言えば、
じっくり考えたい
腰を据えた、納得のいく判断をしたい。
でも、現実は、そんな余裕を許してくれない。
雨のように降りかかってくる球を、
無心で打ち返す。
もう、数は数えることはできない。
ただひたすらに、無心に。
そうしないと、悪夢のように仕事が溜まってしまう。
だからこそ私たちは、
コスパやタイパを意識し、
できるだけ無駄なく、効率よく、
テキパキと物事を片付けようとする。
それはもう、ほとんど無意識の領域だ。
正しい答えが欲しくなる衝動
その結果、短時間で下した自分の判断が、
「本当に正しかったのか」
「どこかで致命的な見落としはなかったか」
ふと、不安になる。
失敗の理由が「多忙につき」だなどと、言い訳はしたくない。
できるだけ成功したいし、報われたい。
だから私たちは、
「これさえやれば大丈夫」
「本質的に重要なこと5選」
といったネット記事に、つい、目を奪われる。
- 誰にでも
- いつでも
- どんな状況でも
通用する魔法のような解答。
理性では、そんなものは存在しないとわかっている。
それでも、つい、期待してしまう。
それは、ごく自然なことです。
世の中には、学校を卒業したレベルで解けるような、優しい課題はもう、残っていない。
ひよっこだからって、誰も甘くみてくれない。
価値観も、関心も、置かれている状況も、
人それぞれ異なるこの世界で、
すべての人に等しく機能する「成功の方程式」は存在しない。
ある状況では正解だった方法も、別の文脈ではまったく機能しない。
それどころか、かえって有害だったりする。

最適解は機能するか?
成功の方程式のような、万能解はない。
それはわかっている。
だから、その場、その時の最適解を求めればいいのではないか?
非常に合理的な考え方です。
失敗したくない
最短距離で成功に近づきたい
この態度を誰も非難できない。
でも、ちょっと考える必要があります。
星の数ほど、課題は存在します。
無数の課題に対する、最適解は簡単に見つかるのでしょうか?
おそらく、最適解に近いものは容易に見つかるでしょう。
類型化された、公約数的な課題の解答が存在するからです。
でも、個人的な経験と断りを入れますが、残念ながら、それらの回答は、ありきたりなものばかりです。
そういう、最適解もどきは、第一、世の中に溢れている。
おそらくは、あなたも知っている陳腐なものだ。
私たちが欲しいのは、もう一歩踏み込んだ、その先の回答だ。
そして、これは肝心なことですから、強調したい。
- 最適解である以上、状況が変われば、最適解も変わる
繰り返します、止まっているのはアナタで、世界はあなたのご都合には関係なく動き続けているのです。
失敗しないための保険
失敗には2種類ある。
致命的な失敗
と
ごめんなさいで済む失敗
致命的な失敗を犯さないためにも、最適解もどきは役にたつ。
これをやったらアカン、というものを教えてくれる。
また、自分にとってそれほど重要でない、大切でない課題であれば、とりあえず最適解もどきを採用し、大失敗をしないための保険をかける。
これらはとても合理的な考え方だ。
最適解は、このような場合には有用だ。
しかし、あくまで状況が変化しない間だけの話だ。
動き続ける世界の中で
私たちは、第1章で動き続ける世界を無視するリスクを議論した。
フレームワークは、知的生産ツールとして非常に有用だ。
しかし第1章では、世界が動き続けてるにもかかわらず、
私たちが「理解したと信じた過去」に思考を固定してしまうため
フレームワークそのものが機能しなくなる危うさを見た。
▶︎ 第1章「フレームワークが通用しないわけ」
万能解は存在しない。
最適解は、致命的な失敗を避ける、保険としての使用には適している。
しかし、動き続ける世界の中では、常に変化することを受け入れなければならない。
ここで二つの問題が立ち上がる。
- ひとつは、
考え続けることは、物理的にも、心理的にも、無理ゲーであるということ。 - もう一つは、
世界が動き続ける以上、
最適解を「変える必要性」にどうやって気がつけば良いのか、
という問題だ。
連載の第2回では、前者を
第3回では、後者を取り上げる。